雲仙岳噴火関連HPリンク集(2002/06/20確認)


測量,2002.4,p37-40.原稿 HTML版 2002/06/20作成 

 シリーズ[ハザードマップ](4)
 

雲仙岳のハザードマップ

千葉 達朗*・伊藤 英之**
*アジア航測株式会社/**財団法人砂防・地すべり技術センター


 原市と深江町の境を流れる水無川のほとりにある道の駅には,観光シーズンともなると連日のようにたくさんのバスが押しかけ,たいへんなにぎわいです。その一角に,土石流被災家屋保存公園があります(図-1)。平成2年から5年にかけての,雲仙岳の噴火に伴う火砕流や土石流によって,44名の命が失われ,2511棟の建物が損壊,2299億円もの被害が生じました。この甚大な火山災害を,後世の人に伝えるために建設されたものです。土石流に埋積された家屋にすっぽり屋根をかけて保存・見学できるようにした,これまでに例のない施設です。また,平成14年7月には,近くに雲仙災害記念館(がまだすドーム)もできるそうです。

図-1 土石流被災家屋保存公園パンフレットより

 雲仙岳噴火から10余年,その時どのようにして災害と戦ったのか振り返ってみましょう。


1.火山災害とハザードマップ

 火山災害は地震災害のように突然発生しますが,影響範囲は火山に近い範囲に限定されるという性質があります。その対策において,あらかじめ危険範囲を図示するハザードマップは,非常に有効とされています。一方,噴火前に火口の位置や噴火の種類,規模等を予想することは,非常に難しいことです。


2.雲仙岳噴火の推移

 雲仙岳は1990年11月17日に198年ぶりに噴煙を上げはじめました。当初は水蒸気爆発でしたが,徐々にマグマ性に変化し,1991年2月の噴火では,火口の周囲にかなりの細粒火山灰が堆積しました。この火山灰は,地表の浸透能を著しく低下させ,5月15日から始まった土石流発生の原因になったと考えられています。地元では土石流の警戒のために橋を取り壊したり,警戒区域を設けて一部住民には避難勧告も出しています。

 1991年5月20日からは,地表にマグマが直接顔を出す溶岩ドーム形成活動が始まりました。ドームは成長を続けて,火口縁からあふれ出して谷底に落下,5月24日からは大きな噴煙を上げながら山麓に達するようになりました。これが,最初の火砕流でした。繰り返される火砕流によって,徐々に谷が埋まり,火砕流の到達距離は日に日に延びてきました。 26日には砂防ダムで作業員がやけどを負い,火砕流が高温で危険だということが改めて印象づけられました。専門家は厳重な警戒を求め,土石流に加え新たに火砕流を警戒した避難勧告区域が設定されました。住民は避難しましたが,一部のマスコミや研究者などが,避難勧告区域で撮影等を続けていました。

 6月3日夕方,雲に隠れて見えなかった溶岩ドームの大半が,既存の山体の一部とともに地すべり的な崩壊を起こしました。発生した火砕流の本体部分は水無川の谷沿いに流下しましたが,火砕サージは谷を乗り越えて対岸の高台に達し,巻き込まれた43名が亡くなり,179戸の建物が被害を受けました。この1回の崩壊で発生した火砕流の体積は250万m3と計測されています(長岡ほか,1993)。

 日量数十万立方メートルで成長を続ける溶岩ドームは,崩壊後の不安定な斜面にたちまちドームを再生させ,6月8日にまた崩壊しました。これはさらに大きく(350万m3)山体を崩壊させたため,火道が直接露出し,マグマ的な爆発をともないました.発生した火砕流はより高温で広い範囲に火災を発生させ,207戸の建物が被害を受けました(図-2,3)。

 図-2 1991年6月8日の火砕流後の状況(アジア航測1991年6月16日撮影)

 

図-3 火山災害実績図1991年6月16日(千葉ほか,1996

 これらの火砕流発生後,はじめての大雨となった6月30日(雲仙岳測候所で日雨量188mm,最大時間雨量64mm),大きな土石流が発生しました。赤松谷川と水無川から流下してきた土石流は,合流点付近の河道が火砕流堆積物で閉塞されていたため北側にあふれ,扇状地上を流下して海岸に達しました。堆積した土砂は38万m3と測定されています。

 1991年9月15日には新しい溶岩ドームが北東方向に崩壊,最大規模の火砕流が発生しました。火砕流は垂木台地にぶつかって方向を変え,本体部は水無川に沿って流下,約5.8km下流に達しました。一方,火砕サージは南側の大野木場方向に直進し,大野木場小学校など218戸の建物が炎に包まれました(図-4)。

 

図-4 火山災害実績図1991年9月22日(千葉ほか,1996

 1992年末には噴出率がいったん低下しましたが,1993年から再び増加,1993年6月23・24日に千本木,6月26日に水無川方向へ大きな火砕流が発生しました.

 1995年5月に終息宣言が出されるまで,5年間の噴火による火山災害は,溶岩ドーム崩壊型の火砕流と降雨による土石流によって特徴付けられます。この間,噴出されたマグマの量は2億m3に達しました(表-1図-5)。

 

図-5 火山災害実績図1995年5月12日(千葉ほか,1996


3.ハザードマップ

 雲仙岳は活動的な活火山でしたが,その当時の国内のほとんどの活火山と同じように,ハザードマップはまだ整備されていませんでした。地元島原市の依頼で急遽検討された火山災害予想区域図(図-6)は,6月2日にできましたが,6月3日の火砕流には間に合いませんでした。しかし,6月8日の火砕流の前日までに,この予測図に基づいた警戒区域が示されるとともに,島原市長によって強制力を伴った避難指示がはじめて出されました。6月8日の火砕流では多数の家屋が炎に包まれたものの,1人の犠牲者も出なかったのは,ハザードマップが有効に機能したためといってよいでしょう。

図-6 火山災害予想区域図(鈴木ほか,1991

 その後も,溶岩ドームの成長や,周辺の地形の変化に合わせて,予測図は幾たびも作り替えられ,防災対策に役立てられました。しかし実際の作成にあたっては,様々な困難な点がありました。

 たとえば,火砕流の影響範囲は,溶岩ドームの崩壊方向や量に大きく制約されます。この想定をするためには,上空から溶岩ドームをよく観察し,絶えず変化するマグマ噴出地点や崩壊しそうな不安定な溶岩ローブを見極める必要があります。図-7は,大学合同観測班の毎日のヘリコプター観測や地質調査所のセオドライト測量結果から作成された,溶岩ドームの地形変遷図です。

 

図-7 溶岩ドームの変遷図 数字はローブの出口(渡辺ほか,1995

 また,噴出率が大きくなると崩壊量も大きくなる傾向がありますが,噴出率の推定は容易ではありません。複数の時期の空中写真から地形図を作成し,そのDEMデータの差分からマグマ噴出量を求め,それを期間で割ることによって噴出率を計算できます。図-8は,国土地理院,土木研究所,大学合同観測班地質グループ,地質調査所が求めた噴出率を取りまとめたものです。地形変化量がそのまま噴出量にはならない点も要注意です。崩壊した部分はマイナスになり,堆積域はプラスになりますが,火砕流堆積物は空隙を含むため,みかけの体積が約1.5倍に膨らみます。単純に差を取ればいいものではないのです。

図-8 1日あたり溶岩噴出量の時間変化(渡辺ほか,1995

 さらに火砕流の到達範囲は,地形によって変化しますから,頻繁に空中写真の撮影と図化による地形図の作成を行い,DEMデータを用いてシミュレーションを行って影響範囲を予想することになります。

 図-9に平成6年に島原市が各戸に配付した,防災マップを示します。災害の予想区域は明示されていませんが,立ち入りの禁じられている警戒区域と,避難勧告区域,避難対象区域が示されています。また,土石流発生時の指定避難場所と,眉山崩壊が予想される時の避難中継所が分けて示されています。

 

図-9 島原市防災マップ(平成6年3月現在)

 


4.平成新山と復興

 噴火終息後の平成8年,新しい溶岩ドームに「平成新山」という名前が与えられました。雲仙岳の活動史と比較しても,およそ4000年ぶりの大噴火でした。

図-10 噴火終息直後の雲仙岳(1995年11月18日アジア航測撮影)

 現在,島原市や深江町では,様々な復興計画が実施されています。海岸ぞいには島原−深江道路という高架道路が建設されました。水無川から大量にあふれだした土石流堆積物は,取り除かずそのまま地盤を高くすることになりました。そのため,水無川と導流堤に挟まれた安中地区は相対的に低くなるので,全体に5m嵩上げされ住宅団地に生まれ変わりました。河床から取り除いた土砂は,海岸沿いの埋立地に変わりました。砂防ダムや治山ダムも次々に完成しています。

 雲仙岳に限らず火山の裾野は一般に火山灰・火砕流・土石流などの堆積物からできています。しかも,それはある時期に短期間に形成され,人間の寿命に比べても長い安定期をはさんでいるため,いつしか生活の場となるのです。火山の裾野が持つこのような宿命的側面を忘れてはいけません。

 最近になって,全国各地の活火山でハザードマップができていますが,今回の雲仙岳噴火のような数千年に1回しか起こらないような現象まで想定しているものは少ないと思います。三宅島2000年噴火でも,割れ目噴火ではなく,2500年ぶりのカルデラ形成となったことは記憶に新しいところです。

 われわれは,6月3日の火砕流による43名の犠牲者に報いるためにも,さらに火山の研究を進めて,よりよいマップ作成を目指さなければなりません。


5.引用文献

鈴木宏・宮本邦明・西山康弘(1991)雲仙火山災害予測図の作成について,新砂防,44,36-40.

千葉達朗・遠藤邦彦・磯 望・宮原智哉(1996)雲仙岳噴火の火砕流 ,月刊地球,15,95-100.

渡辺一徳・星住英夫(1995)1:25,000雲仙火山地質図,火山地質図8,地質調査所.

長岡正利(1993)雲仙岳噴火の溶岩噴出量変化の計測,雲仙岳の火山災害,29-44,土質工学会.


表-1  雲仙岳噴火略年表 平成2年〜平成8年

平成2年(1990年)

11月17日

普賢岳から噴煙あがる(九十九島火口、地獄跡火口)

平成3年(1991年)

2月12日

新たな火口出現(「屏風岩火口」と命名)

5月20日

地獄跡火口に溶岩ドームが出現

5月15日

初めての土石流が水無川流域に発生

5月24日

初めての火砕流が発生

6月3日

大火砕流発生(死者43名:家屋焼失・倒壊179棟)

6月7日

警戒区域設定

6月8日

大火砕流発生(家屋179棟が焼失・倒壊。先端は国道57号に達する)

6月30日

148棟を飲み込む土石流発生

9月15日

最大規模の火砕流発生(218棟が焼失・倒壊)

平成4年(1992年)

8月8日

台風10号の影響で土石流が発生(国道251号、島原鉄道が埋没。家屋355棟が全半壊)

        

赤松谷方向に火砕流発生

平成5年(1993年)

4月28日

水無川に加え、中尾川でも土石流発生(70haにわたり氾濫。338棟が全半壊)

4月12日

雲仙復興工事事務所(建設省)開設

5月2日

水無川、中尾川で数回の土石流発生。被害広がる

6月18日

国道57号にかかる水無川橋流失。多数の家屋が流失・倒壊

6月23日

北東側斜面に火砕流発生。死者1名、家屋151棟が焼失・倒壊

7月4日

中尾川流域で土石流氾濫。国道251号が不通になり、島原市孤立

7月19日

火砕流発生。国道57号を越える

8月20日

眉山六渓でも土石流発生。被害多数。

平成6年(1994年)

2月6日

北西側の湯江川方面にも火砕流発生。

平成7年 (1995年)

1月6日

噴火以来初めて火山性地震の発生ゼロ

4月25日

火山噴火予知連絡会は「噴火活動はほぼ停止状態」との統一見解を発表

4月28日

国道57号線が開通

10月28日

水無川上流のスーパー治山ダム(1号ダム)着工

平成8年 (1996年)

3月26日

水無川拡幅改修工事完成

5月20日

島原市と小浜町は溶岩ドームを「平成新山」と命名

5月30日

九大島原地震火山観測所の太田所長が「普賢岳の噴火活動は終息した」との見解を示す。

6月3日

「噴火活動の終息宣言」長崎県、島原市、深江町が災害対策本部を解散。

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