地震の話 ― 東海地震はどうなる

  (2004年11月12日 名古屋市での日大フェアにおける講演の要旨)

吉井 敏尅


 今日は、東海地震がどうなるという話をしたいと思っているのですけれども、前半に、日本の地震学というものが社会あるいは大きな地震とどういう接点を持って発達してきたのかという話をしていきたいと思います。
 明治の初めに西洋から研究者がたくさん日本に来ていました。いわゆるお雇い外人教師です。実は地震学は、そういった人たちを取り込んでつくられたのです。それが近代地震学で、日本が発祥の地だったわけです。ちょっと珍しい学問だと私は思っております。日本の地震学というのは、大きな地震が起き、それによっていろいろな研究が進む。あるいは社会的な制度が変わるということで進んできたわけです。その出発点が明治の初めであったのです。

 マグニチュードと震度
 地震というのを『広辞苑』で引きますと「地殻またはマントル内に自然に起こる急激な変動と、これによって生ずる地殻の弾性波動により、地面が動揺する現象」と書いてあります。この定義では2つの概念が混ざって表現されています。つまり地下で起こった急激な現象、「断層運動」といっておりますが、それとこの断層運動による地震波が地面に伝わっていって地面が動揺する現象。その2つが重なったものが、地震と呼ばれているものなのです。
 一般にテレビなどで「どこそこで地震がありました」というのは、だいたい後者のほうです。地面が揺れることを地震があったと表現するわけですが、研究者、特に理学系の私なんかもそうですけれども、前者の地下での急激な変動を普段「地震」と言っている。それを区別するために、地面が動くことのほうを地震動と「動」を付けて表現することが多い。地下の急激な変動の大きさを表すのが「マグニチュード」、地面の動きの大きさを表すのが「震度」であると、学生には説明しています。
 地震学にも2つの面があります。ひとつは地震そのものを解明するという学問です。もう一方で、地震を非常に大きな音源にたとえて、それから発生する波を使って、地球内部の構造を探ろうという分野もあります。実は私は後者の研究を何十年もやってきた。私の著書に『日本の地殻構造』という本がありますが、それが私の専門なのです。

 世界最初の地震学会
 1880年ごろの地震学にとって、ある一つの大きな出来事があります。それは日本地震学会の発足です。そのきっかけとなったのは横浜地震。横浜の辺で結構被害があったらしいのですが、マグニチュード(M)が6弱で、日本では年間何十個も起こるような、そんな程度の地震だったようですが、その当時、先ほど申しましたお雇い外国人は、ほとんど地震なんて感じたことのない研究者だったために非常に驚き、これは地震を研究しなくてはなるまいということで、日本地震学会が発足するわけです。これが世界で最初の地震学会となります。
 その中心となったお雇い外国人で、特に有名なのがミルンという先生とユーイングという先生です。お二人とももともとは物理学の先生でしたが、日本で地震を体験したことによって、地震学にとって非常に大事な恩人となったわけです。ユーイング先生は母国イギリスに帰られて、自分の専門である物理学の関係に戻られましたが、ミルン先生はイギリスに帰られても、ずっと地震学をやられ、近代地震学の父とさえ呼ばれています。お二人のやられたことはたくさんありますが、特に地震計の開発によって地震波が正確に記録されるようになり、それが近代地震学の大きな発展の柱となりました。
 

 地震学のリーダー大森房吉氏
 その後、1891年に濃尾地震が起きます。M8.0という大きな地震です。内陸でM8.0というのは日本では多分、これ以上の地震はないだろうという地震です。当時日本は西洋の近代的な技術を取り入れて、鉄橋とか、レンガ造りの家とかを造っていたわけですが、それがことごとく壊れるという大変な被害を生じたのです。有名な根尾谷の断層が出来たのもこの地震の時です。
 この地震が契機となって、翌年に震災予防調査会という組織が発足します。大きな災害の発生を食い止めるため「予知」とか「防災」とかを進めようというものです。その年には帝国大学、今の東京大学に地震学の講座ができます。これは世界で最初の地震学単独の講座といわれています。
 震災予防調査会の活動の中心となったのが大森房吉という先生でした。中学や高校で地学、地震の勉強をされると、初期微動継続時間が震源までの距離に比例する、初期微動継続時間に8とか7をかけると震源までの距離になるという法則を習うと思うのですが、あれを考え出された方です。あれは大森公式といわれています。
 大森公式と呼ばれるものにはもうひとつありまして、余震の減衰の仕方です。余震がほぼ時間の逆数に比例して減っていく。数学でいうと双曲線ですけれども、余震の数が双曲線的に減っていくという公式を出された。地震計も開発されたということで、この当時の日本の地震学会にとってリーダーと呼ぶべき方でしたが、1923年に若くして亡くなっています。この年は、実は関東地震の年なのです。ともかくこの時代の日本の地震学会にとって大変重要な人物で、ずっと日本の地震学会をリードするわけです。
 震災予防調査会の時代にやられた非常に大事な仕事は、古い地震をまとめるということでした。『日本書紀』には允恭天皇の5年、416年のことですけれども、「地震う」と大きな地震が発生したということが一言書いてあります。こういうものをまとめて、大変重要なカタログが出来ます。田山花袋のお兄さんだったと思いますが、田山実という方が編集した『大日本地震史料』が大森先生の指導のもとで作られます。
 そうこうするうちに1923年、関東地震いわゆる関東大震災が起こります。大きな火災が発生して、大惨事になった。火災による竜巻まで起こります。関東地震による火災で有名なのは、両国の被服廠跡です。そこに火が回って、何万人もの方が亡くなった。いま日大一高のある場所です。一方、逆に被害を食い止めたのは神田和泉町という所で、ここでは皆がバケツリレーなどをして、町一角を守ったという対照的な場所です。隅田川を挟んで両側になります。この関東地震のときに、大森先生は日本にいなかったのです。学会か何かでオーストラリアに行っていました。当時、日本の地震学にとって最高のリーダーでしたから、急きょ日本に戻ってくるわけですが、帰りの船旅の間に病を得て、帰国後、地震は9月ですけれども、11月ごろに亡くなってしまいます。

 地震の発震機構を解明
 大森先生のあとをついで今村明恒という先生が、東大の助教授でしたが、教授になられる。この方も地震学の有名な先生ですが、今村先生にしろ、大森先生にしろ、物理畑の先生方から見ればそれまでのは経験則的な地震学であって、近代的ではないと思われていた。物理学に立脚したもっと近代的な地震学を作ろうというので、1925年に東京大学に地震研究所が創立されます。このときの陰の中心人物が寺田寅彦でした。実際、寺田先生は地震研究所の所員も兼ねていたことがあります。
 この時代の重要な研究のひとつが地震の発震機構というものです。この分野の草分け的な研究者は志田順という方です。長岡半太郎先生のお弟子さんですから寺田先生にとってもお弟子さんのような方で、京都大学に送り込まれて、京都大学の地球物理学教室の基礎を作った先生です。
 地震が起きた時に、各地の観測点で観測される地震波が最初に動く方向、初動といいますが、これが観測点によって震源から離れる方向であったり、近づく方向であったりすることがあります。その分布が実に規則的である。震源に近づく方向の動きのことを「引き」、震源から遠ざかる方向の動きのことを「押し」といいますが、志田先生はそれがきれいに4象限に分かれて分布することをみつけました。これが断層運動によって地震が発生しているというひとつの証拠になっているわけです。地震というものは、そもそも地下で起こった断層運動であるという考え方の基になった、非常に重要な研究であったのです。
 地震の発生の仕方に関係することとして、和達清夫という先生が大変有名な研究をされます。それは深発地震面というものです。地震というのは浅い所で発生するものとばかり思われていたのですが、実は非常に深い、数百キロもの深さの所で発生するということが和達先生の研究でわかってきた。1920年代から30年代の話です。例えば日本列島のような所では、こうした震源の深い地震がばらばらに起こっているのではなくて、ある傾きを持った面の上で起こっている。これは今で言うプレートテクトニクスの沈み込むプレートを表している。それが1935年にすでに発見されていたのです。和達先生は気象庁長官もされた方ですが、神戸の地震の発生する2週間ぐらい前に亡くなられました。生きておられたらどうおっしゃったか、ちょっと聞きたかったような気もするのですが。

 東海地震への警告
 いよいよ東海地震が登場します。1976年に東海地震が社会問題化する。このきっかけとなったのが、当時、東京大学理学部の助手であった石橋克彦さんの警告です。彼は私よりもちょっと若い、仲のよい友達ですが、東海地震が起こると警告を発したのです。この警告を受けて大規模地震対策特別措置法という法律が制定される。つまり東海地震のための対策を考えようという法律で、それに対応する研究者の集まりとして地震防災対策強化地域判定会が出来たわけです。初代会長は萩原尊禮先生でした。
 1990年代になって、北海道南西沖地震とか、釧路沖地震とか、やたらに騒がしくなる。そして兵庫県南部地震が発生し、これではいかんというので、地震防災対策特別措置法という法律ができます。先ほどの名前とよく似ていますが、この法律に基づき地震調査研究推進本部が設置されます。兵庫県南部地震では多くの建物が破壊して、何千人もの方が亡くなった大惨事であったわけで、当時、科学技術庁長官だった田中真紀子さんが頑張って地震調査研究推進本部という組織ができました。この中の地震調査委員会は毎月会議を開いて、全国の地震についての調査結果を報告し、検討しています。

 列島を世界一の観測網で覆う
 これもやはり田中真紀子さんの功績かもしれませんが、当時でも日本は世界で最高の地震観測網を持っていたのですが、さらにそれを強化しようと観測点を増やし、日本中を千点を超える観測網で覆ったのです。それとGPSです。地面の動きを観測するための観測網で、これも現在は千点を超えています。GPSというのは身近なものでいうと、カーナビで、衛星を使って位置を測るというやり方です。カーナビですと位置が1メートルとか2メートル程度の単位で分かれば十分ですが、地球科学で使うGPSの場合は数ミリメートルといったオーダーで地面の動きを測るということが可能になっています。国土地理院が設置したこの日本の観測網はもちろん世界一です。
 こういった観測網を使って地震の予知を行おうというのが、現在の日本の態勢になっています。現在は地震予知に関して3つの組織があります。いちばん古いのが1969年の地震予知連絡会で、年に4回開かれ、地震情報などの交換を行う。定員が30人。国土地理院長が任命権者です。
 次に古いのが判定会です。これは東海地震を直前に予知しようというもので、1979年にできております。気象庁長官が任命権者で、定員が6人です。その背景となる法律が大規模地震対策特別措置法というものです。この法律は東海地震に限ることはないのですが、現在ここで検討すべき地震とされているのは東海地震だけなので、東海地震の法律とほとんど同義となっています。
 それから神戸の地震の後にできた地震調査委員会、これもやはり国としての全国的な評価を行おうという政府の機関で、任命権者は総理大臣です。定員は12人。この背景となる法律が地震防災対策特別措置法です。

 東海地震はマグニチュード8級
 さて東海地震ですが、先ほどの石橋克彦さんの警告は、1976年に地震学会で発表されました。学会では、発表することを要約した予稿集というのを書くわけですが、当時はまだワープロが一般的ではなかったので、彼も手書きで書いています。地震学会の予稿集というのは1ページに収めるというのがルールになっていたのですが、彼は6ページぐらい投稿した。彼は東海地震の発生が非常に切迫していると考え、切羽詰まった気持ちで書いたのだと思います。もう30年ぐらい前ですが、まだ起こっていないというわけです。
 東海地震は、マグニチュード(M)8程度と考えられていますから、100キロ四方ぐらいの断層が数メートル動く地震ということになります。石橋さんの予稿集には「発生時期は現状では予測困難。もしかすると2、30年後かもしれないが、数年以内に起こっても不思議ではない」と書いてある。これが「今すぐ起こっても不思議はない」というふうにマスコミで伝えられて、大きな社会問題になったのです。

 気になる空白域
 彼が挙げた東海地震の根拠というのはいくつかあります。この地域では繰り返し大地震があったが、1854年の安政東海地震以降、大地震が起こっていない。それから三角測量などによれば、静岡県一帯の地域がかなり圧縮されているということです。それからこれは大事なデータですが、水準測量、つまり地面の上下の動きを測る測量ですが、それによれば駿河湾西岸一帯が非常に急に沈降を続けているということ。
 もうひとつの根拠となったのは南海トラフ沿いに発生する巨大地震の規則性です。南海トラフでは、南から北のほうに向かって、フィリピン海プレートが沈み込んでいる。そのプレートと上のプレートの間で、繰り返し地震が発生している。非常に古い地震、白鳳の地震なんていうのがありますけれども、そういった時代からどの辺が割れたか、破壊が起こったかということが、古文書を調べることによってだいたい追跡できています。それが150年とか200年ぐらいの間隔で、規則的に起こっているというわけです。
 1944年の東南海地震の2年後に南海地震というのが起こります。この地域の地震はどうもペアになって起こるのです。まず東のほうで起こって、次に西のほうで起こるという癖があるのですが、近接した時間間隔で起こるという特徴があります。この時の地震は、実は「東海」を残しているのです。それからもう既に何十年もたっているのだから、次にここが割れてもおかしくはないというのが石橋さんの根拠であったのです。
 彼が予測した論文の図にある想定震源域を基にして地震防災対策強化地域というものが設定されます。主として静岡県が多く、愛知県では新城市だけがこの当時は指定されています。その後いろいろなデータが蓄積されることによって、石橋さんが考えた地域よりも、数十キロ西に寄った所が震源域になるのではないかということが、数年前に言われ、強化地域が見直されます。想定震源域が愛知県にうんと近づき、強化地域の範囲も当然、愛知県のほうに広がりました。強化地域は三重県のほうにもありますが、それは津波です。発生する津波がこの辺にも達するだろうということで、強化地域に入っているのです。

 「前兆滑り」が発生すれば警戒宣言
 ではいよいよ東海地震というときに、どのように市民に情報が知らされるのか。去年あたりまでは、私も入っている判定会が召集されると、すぐに警戒宣言が発令されて、社会的にそれに対応することが要求されると決まっていたのですが、それではあまりにも単純すぎるというか、もうちょっと中間段階のことがあるのではないかということで、まず「観測情報」というのが発表されることになります。次に「注意情報」というものが発表される。この辺りで、世の中の方はちょっと注意してくださいということになります。それから最終的には「予知情報」、いわゆる警戒宣言になります。下の図は、気象庁のパンフレットに出ている、こうした流れを示したものです。
 それらの情報を出す基準というのがありまして、いわゆる東海地方に展開されているひずみ計というもの、地面のひずみをとらえるものです。体積ひずみ計といいまして、非常に深い穴の中に設置して、周りの岩石が縮むか伸びるかということを測る機械ですけれども、それが少なくとも1カ所で異常があったら観測情報を出す。2カ所で有意な変化があったら注意情報になる。3カ所以上のひずみ計で有意な変化が観測された場合で、それが本震前の予兆的な滑りである考えられた場合には、予知情報として発表されて警戒宣言になるということです。
 現在はどうかというと、いろいろな所でさまざまな観測が行われています。地震計がたくさんありますし、海底地震計というものもあります。それに岩石ひずみ計です。伸縮計、傾斜計、地下水。そして大事なのはGPSの観測で、最近では最も重要な東海地震予測のための情報となりつつあります。

 東海地震予測のシナリオ
 それでは東海地震の発生シナリオですが、フィリピン海プレートというものが東海地方の下に沈み込んでいる。この部分が固着しているために、沈み込むフィリピン海プレートと上の陸側のプレートは、ほぼ同じように動いている。そのうちにひずみが限界に近くなると、沈降が遅くなるというわけです。そうするうちに、多分、下のほうで固着している部分がはがれ、逆向きに動き始めるために、今まで沈降していたものが反転して、上昇していく可能性がある。そうすると間もなく地震が発生するということです。
 このシナリオの中で一番大事なのが「前震」の発生です。固着部分のはがれで緩やかな滑りが発生する。前兆滑りが始まります。プレスリップという言葉がありますけれども、こういったものが発生すると、その変化が地表で観測されるだろう。それをとらえることによって、何とか本震の直前に警報を出そうというのが、東海地震予測のシナリオになっているのです。
 現在の状況をできるだけ新しいデータで見ていただこうと思いますが、下の図に示したのはこの東海地震における観測データの中でも、ある意味で象徴的なものです。横軸に年代をとってあります。1961年から、2005年までありますけれども、縦軸に1962年を原点として、ミリメートルでもって地面の動きが書いてあります。
 これは水準点2595という御前崎市の水準点が掛川市に対してどのぐらい変化しているか、上下方向にどう変化しているかというものを表したものです。石橋さんが警告を出した1976年ころは観測のデータが非常に少なかったわけですが、その後、観測の回数を増やし、年に4回、水準測量を国土地理院がやっております。こんなに頻繁に水準測量をやっているのは日本中でここだけです。2004年10月までのデータがありますけれども、非常に速い速度で掛川に対して御前崎が沈降している。一年間に約5ミリ。地殻変動の速度としては非常に速い。この沈降速度が小さくなってグラフが水平に近くなってきて、やがてドンと上に行くと地震が発生するということになるわけです。

 最近のさまざまな現象
 地殻変動というと、この数年、想定震源域の近くで不思議な現象がGPSの観測により見つかっています。浜名湖付近を中心にして、平常とは違う地殻の動きが2000年ごろから観測されているのです。その量は南東方向に10センチメートル、隆起も5センチメートルに達しており、想定震源域の西端に近いところで断層のゆっくりとしたすべりが進行中であるためと考えられています。これがこの後どのように進展していくか、東海地震の予知にとっても見逃せない現象です。
 それから低周波地震というのが、日本列島でたくさん起こっています。低周波ということは、ゆっくりとした振動ということです。普通の地震というのは何十ヘルツという速い振動をするのですが、この低周波地震というのは10ヘルツとか、5ヘルツとか、非常にゆっくりとした振動をする。だいたいは火山に関係するものなのです。ところが、フィリピン海プレートの沈み込みに対応するような所でこの数年間、たくさん低周波地震が起こっている。深さが数十キロの所ですが、東海地震の想定震源域の近くでも、この数年、低周波地震の数が増えています。
 その他いろいろなことがあります。下の図は防災科学技術研究所のデータですが、フィリピン海プレートが沈み込んでいる、その上と下の境で地震が発生するわけですが、今固着している所がいずれ切れたときに地震が発生すると考えられています。そこを固着域といっているのですけれども、その固着域の上側の所で起こっている地震の数を積算していきます。活動が定常状態であるとすると、この積算値は図に波線で示したように一定の割合で増加していくのですが、1997年ごろから、増加の仕方が減っている。地震活動が低下するというのはしばしば大きな地震発生の前兆になる可能性があるわけで、こういうのも気を付けて見ていかなければならない現象です。これはプレートの上のほうのことですが、下の沈み込むプレートのほうでも、定常の状態に比べると、地震数が減少しています。浜名湖の直下ではさらに急激に地震の数が減っている。つまり静穏化というものです。静穏化というのは次に起こる地震の前触れであるというのが、よくいわれる説ですが、それが起こっているように見えるのです。
 もっと最近の話をしたいと思いますけれども、これは9月5日に、三重県の沖で何とM7.4という地震が発生しました。これは大きいです。巨大地震の直前ですよね。新潟地震がM7.5ですから、それに匹敵するような地震が起こったわけです。南海トラフという海溝の軸の、その本当に真下で起こったものです。問題はこの場所が、沈み込むプレートと上のプレートの境だったら大変怖い。ほとんど東海地震や東南海地震そのものということになってしまいますが、実はこれは沈み込むフィリピン海プレートの内部で起こっているということが分かりました。
 それから11月9日の未明にも地震が発生します。これはM5.7という地震でした。これは明らかに海のプレートの内部で起こった地震です。いずれしてもM5.7という地震が、こんな想定東海地震に近い所で起こっているというのは怖いことです。何となく気持ちが悪いのですが、といって本当にどうなるのかといわれても、なかなか答えにくい。今日の演題は「東海地震はどうなる」なのですが、今回はこれ以上のことは言わないようにしたいと思います。

 南海、東南海地震も視野に入れた対策
 問題は、「東海地震が起こる」と石橋さんが警告してから、もう30年近くたっている。いまだに起こらない。そうするうちに、だんだん東南海地震のほうも怪しくなってきているわけです。現在、政府のほうではもう東海地震だけではなくて、東南海地震あるいは南海地震まで視野に入れて対策を練ろうというふうになってきています。東南海地震と南海地震というのは連動して起こる性質がある。それらが非常に近接して発生することが多いのですが、今後30年以内に起こる確率が40%から50%に達すると、政府の地震調査委員会が発表しています。これはある意味で、へたをすると東海地震もこれらと一緒に起こっちゃうぞと言っているに近い感じです。
 こういうことで、我々は判定会で毎月のように定例の会議を開いて監視をしているという状態です。「どうなる」という題名の割にはどうも尻すぼみの話になっておりますけれども、何かが近づきつつあるという感じはします。かといって絶対そうであるかと問われると、そうでもないというか、何か非常に微妙な状況になりつつある感じです。確かに、予兆、おかしいなという現象が、大地震の後で考えるとそうだったという場合もあるのですが、実はそうではなかったということのほうがむしろ多いのです。
 ですから今日お話しした最近の現象というものが本当に東海地震の前兆であるのかどうかということも、実際に起こってみなければ分からないという面もあるわけです。願わくは、前兆的な滑りをとらえることによって、何とか予知をしたいというのが、我々の思いです。
 これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。